させんバンカーの 独り言

ある日、突然左遷された元銀行員の日常

左遷

させんバンカー521です。

ネーミングの通り、左遷された銀行員です。30年務めてきた銀行から、突然の出向命令を受けたときの決定的な挫折感、言いようのない無力感、そして左遷を演出した上司や部下達への黒い怒り。電話で出向を伝えてきた人事部長の「これからは銀行の外から銀行を支えることに」などという左遷の決定を働きかけた張本人の「白々しい」他人事の「お悔やみ」文句は今でも癒えない生々しい傷として心に残り続けています。

左遷され出向となってから、銀行の取引先や銀行内のごみ捨て場のような部署を転々として、厳しい扱いを受けてきました。左遷された人間など、「何の力も持っていない」銀行組織の範疇外の、存在価値のないゴミであり、媚びる必要も、もおべんちゃらを言う必要も、上長として敬意を払う必要もない邪魔な存在。上司や同僚、部下も、特に女性職員はわかり易く、出向前後で大きく対応が変わりました。「憐れな奴」「なぜまだいるの?」。会社のヒエラルキーから放り出された負け犬への冷ややかな言動が精神的にも重く堪えます。給料も当然下げられ、経済的にも厳しくなり、色々な負のスパイラルにどんどん追い詰められます。

私自身の職業に対しての価値観も大きく変わりました。我なりに必死に頑張り続ければ 、人も結果ついてくるなんて甘い考えは、運が良ければ成り立つかもしれないが、現実的には成り立たない場合が多いというのが実感。上司が銀行の経営方針に沿って、本部の指示を実現するため、持てる人的、物的、内外部環境的資源をフル活用して業績を作ろうとしても、部下が同じ思考でいるとは限らない。組織の階層ごとに部下の受け止め方が違い、自身の立場に合わせて、周囲に気づかれないようにより保身的に自己中心的に解釈し行動する。それは本部の指示を受け上手く立ち回ろうとあくせくしていた自身にも当てはまることかもしれません。

本部指示実現のためあくせく走っていたつもりが、いつの間にかいろんなトラップに引っかかり、人事考課的にも精神的にも傷だらけ、自分の力ではリカバリもできず、誰にもかばってもらえず、人事部長の格好の左遷標的となり下がり、左遷の憂き目にあったのでした。結論としては私の人間力が無かったのでしょう。人事が、銀行のおエライさん方が喜ぶ人間になり切れなかった。

今だに、思い返せばあのときああだった、こうだった、あれはああすべきだったのかも、ひょっとしてああしたら別の結論だったかも、とかとか、堂々巡りの思いに苛まれ、鈍い痺れとともに眠れない夜が続きます。

負け犬の左遷銀行員は、今も銀行員の余韻を引き摺り、もがき苦しむように生きています。自分を責めながら、片やきっと安らかな日々が来ると自分に言い聞かせながら、今後の人生をどう生きていくべきか、色んな可能性を考え、手が届くかどうかわからないけど明かりが見えそうな方向に手を伸ばしてみながら、掴めたのかどうかさえも判らないまま、そうした悶々とした日々を続けています。