させんバンカーの 独り言

ある日、突然左遷された元銀行員の日常

記憶に残る不良債権3

地域を代表する伝統ある精密部品製造業者E社。

創業者は国内を代表する上場精密機械製造企業となったA社の共同経営者で、A社が上場する前にスピンアウトしてA社下請け企業E社を設立し、A社とともに高度成長を遂げて今や地域を代表する下請け中小企業の祖となった地元名士。既往事業で蓄えた企業資産や元請企業が上場するときの個人の持ち株の含み益等で巨額の資産・手元流動性を得るに至った。こうした資産を背景に、新規事業として、保有する精密機械製造のノウハウを武器に医療用精密機械分野に進出する等の積極的経営を行った。

それだけでなく、円高による大企業の製造拠点の海外移転等により往時の勢いを失った精密機械製造業下請け企業の一大集積地である自社工場所在地の地公体や商工団体等の要請をうけ、自身の所有財産を切り崩し惜しみなく出資投資を行ってきた。

名実ともに地元の雄であった。

しかし、そんな名士企業でさえも、リーマンショック、急激に進んだ円高、大企業の生産拠点の海外等々の影響はボディーブローのように企業体力を確実に削ぎ落した。更に、新規分野への進出を狙って巨額の研究開発費を投入してきた医療用精密機械分野も、資金投下は加速度的に増加傾向にある中、大需要地である海外での許認可に手間取り事業の収益化は想定以上に困難を極め、既往事業で蓄えた企業体と創業者個人の巨額の資産を侵食。保有資産と企業業績で維持してきた金融機関の信用枠も、信用縮小と新規事業への資金流出により、当社既存事業を支えるに必要な資金枠は消失していった。そして、来るべき破綻の足音がどんどん近づきつつあった。

そして、メインバンクが動いた。

地元再生支援協議会とメインバンクが地元地公体を巻き込み、メインバンク主導による財務・事業デューデリジェンス実施、支援企業へ新規事業譲渡による止血(資金流出ストップ)措置に併せて債務超過相当額の取引銀行全行による債権カット及びデットエクイティスワップを仕掛けたのである。

元請企業の資金繰り支援も受けつつ銀行による資金支援を受け、倒産を回避しながら1年以上に亘る永く複雑で困難な各方面の調整をこなし、最終的に、E社は新規事業である医療用精密機械製造事業を上場企業に事業譲渡し、既存事業に特化して再生を目指すこととなった。創業者は一線を退き事業経営を役員である子息に譲ることで同族経営を死守した。

そして創業者はE社の経営からは退いたが、全く別業種の個人事業は手元に残り、また新経営者は保有する大な自宅敷地建物は死守した。

本来、創業者と同族役員は、企業再生過程で持てる資産を全て債務返済に充当し素っ裸になってもおかしくはない。が、本件ではそうはならなかった。それまでの地元への有形無形の多大な貢献が斟酌され各方面からの支援を受け、当社と創業者一族は、本来的ルールの埒外の扱いを受け潰されることはなかったのである。

企業と企業人の栄枯盛衰、地元の名士とて経済原理に逆らえない現実があること、そして企業再生の現場では場合によっては依怙贔屓ともとられる可能性もあるが、人と人、企業と企業・地域との繋がりから、銀行が債権放棄を許容してまでも「絶対に潰せない」例外的扱いもあり得ること等々、様々な実例を直視することとなった事案であった。