させんバンカーの 独り言

ある日、突然左遷された元銀行員の日常

記憶に残る不良債権1

自動化機械部品卸売業A社

既往取引先の社長の紹介を受けて新規融資30百万円を実行した案件です。40歳代のやり手の若手社長で業績急進中の会社とのこと。紹介を受けてから直接A社社長に電話を入れ快くアポイントを受け面談しました。

お会いすると、物静かで大人しい、紹介者から聞いていたようなやり手に見えない落ち着いた雰囲気の社長さんでした。お話を伺うと確かに業績急進中で、そういうステージの企業にありがちの資金繰りの忙しさは有り、特に直近時に大口取引先からの入金がずれそうで、支払いに間に合わず資金調達が必要となりそうとの話がありました

資金繰りのお手伝いを検討する為に決算書類等の提出を打診すると快く応諾頂き、書類受領後伺った話との整合性も違和感なく、財務的非財務的スコアリングにも大きな問題点がなかったことから融資審査としては問題なく、社長申し出の通り新規融資30百万円で新規取引開始となりました。

貸出実行してから程なく、当社からは連絡無いまま一回目の不渡りが発生。

直接社長に連絡を入れ会って直接事情を聞くと、やはり大口先の売上入金が想定以上の金額でズレて、支払手形のジャンプ交渉も不調におわり、やむなく不渡りとなったが、もう目処がたったので次の支払手形は決済目処立っているとの回答がありました。

その後次の手形決済日に向けて暫く社長にちょくちょくTELして状況をヒアリングしていました。

が、ある日から社長が出張したまま連絡が取れなくなり、役員である経理の実姉から2回目の不渡りが出るかもとの話ありました。

紹介者に連絡をとって事情を知っているか聞きましたが全く知らないとのそ素っ気ない回答しか得られず、信用調査機関からの新情報も無いまま、果たして2 回目の不渡りが発生してしまいました。

実態がわからないまま、その後も相変わらず社長と連絡取れず社長携帯に連絡取り続けていたところ、ある日携帯がつながったのです。電話では、今東京にいるとのことで、会うなら東京でなら会えるという話があり、合う約束をしました。

師走の気ぜわしくも華やかな装飾の八重洲地下街のとあるカフェで待ち合わせするコトなりました。本当に社長と会えるのか、確信も持てぬまま現地に乗り込みましたが、やはり社長の姿は見えません。社長の携帯に連絡入れるが出ない。

社長携帯に連絡入れながら八重洲地下街中の店を見て回るが姿が見えません。

諦めかけたところで社長の携帯に繋がり、京橋駅の近くの路上に駐車している車の中にいるとの回答。

急いで車に向かうと、ジャケット姿でひげも剃って身キレイに整えた社長が、暗闇の中、車の横に立って待っていました。

社長はソワソワキョロキョロ周囲を気にしている様子で落ち着かず、まるで誰かに追われているような感じでした。

「迷惑かけて済まない」等の謝りの言葉もなく、不渡りに至る事情を聞こうとしても、時間がないとの他人事のような回答。そして車の座席からゴルフ会員権の会員証を取り出し、「返済の足しになるなら」と言い残し、次回会う約束もできず、早々に立ち去ってしまいました。

それ以来連絡とることもできなくなり、当社は取引停止後、程なく弁護士から破産申請受任通知が届きました。

その後、管理債権セクションに移管してからは詳しい事情は耳に入らなくなっりましたが、今思えば、A社への融資は他社への資金繰り融通のための仕組まれたものだったように思います。A社が第3社から支払い繰延の金融支援を受けていたところ支払い目処が立たなくなったので銀行から融資を受けるよう指導受けそこにマンマと乗ってしまったのではないか。そんな裏事情があったのかもしれないと思います。

やりての若手社長と聞いてから会った印象は、そんな社長に有りがちな自信過剰な迫力を感じさせず、どことなく他人事のようなあっさりした人柄を感じさせるものでした。既に事業意欲が薄れかけていたのかもしれません。そうした違和感を自身で押さえ込み、奥にある実態に思いを馳せることができないまま浅はかにも目先の新規取引を取りにいってしまったことが悔やまれます。

融資実行して半年あまりで、師走の八重洲地下街を息を切らして必死に走り回った挙げ句、社長の最後の良心とも取れるゴルフ会員権を不意に暗闇で受け取った、なんとも不思議な感覚の思い出深いドタバタの一発トタ案件でした。